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高松地方裁判所 昭和33年(わ)152号 判決 1964年5月18日

被告人 鎮西麻吉 外九名

主文

被告人河田亀雄を懲役六月に、

同 馬場多市を懲役四月に、

同 松本常市を懲役四月に、

同 山内英富を懲役一年六月に、

同 山下栄を懲役一年に、

同 大西浅市を懲役三月に、

同 横尾治郎一を懲役三月に、

同 西中忠を懲役三月に、

同 佐伯調次郎を懲役三月に、

各処する。

但し、この裁判確定の日から被告人山内、同山下については、いづれも三年間、その余の被告人についてはいずれも二年間、右各刑の執行を猶予する。

被告人河田から金二五、〇〇〇円、同馬場から金一〇、〇〇〇円、同松本から金二〇、〇〇〇円、同大西、同横尾、同西中からいずれも金五、〇〇〇円、同佐伯から金一〇、〇〇〇円、を各追徴する。

訴訟費用中、証人大原正雄、同竹内史子、同松尾一茂、同古河アイ子、同新川秋蔵、同石川貞雄に各支給した分の二分の一は被告人河田の負担とし、証人則包満(二回分)、同宮武進、同浜野春男に各支給した分は被告人山内の負担とし、証人森岩吉に支給した分は被告人山下の負担とし、証人藤村国光、同中村孝一、同三好義正、同朝倉義則、同上原芳雄、同辻熊美に各支給した分の三分の二は被告人山内、同山下の連帯負担とする。被告人鎮西麻吉は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人河田、同馬場、同松本、同山下、同大西、同横尾、同西中、同佐伯はいずれも、昭和三三年五月二二日施行の衆議院議員総選挙に際し、香川県第二区から立候補した山地寿の選挙運動者であり、被告人山内は右選挙に際し右山地寿の選挙事務長をつとめ、同候補者の選挙運動を総括主宰したものであるが、

第一、被告人河田亀雄は、同候補者の選挙運動者である高畠正勝から、同人がいずれも同候補者に当選を得しめる目的をもつて同候補者のため投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動をなすことを依頼しその報酬及び投票買収資金として供与するものであることの情を知りながら、昭和三三年四月二〇日頃、丸亀市風袋町の同候補者宅において、現金一五、〇〇〇円の供与を受け

第二、被告人河田亀雄、同馬場多市は共謀のうえ、前記高畠正勝から、同人が前記第一記載と同趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、同年五月一二日、三日頃、仲多度郡満濃町大字吉野下一八〇番地の被告人河田方において、現金二〇、〇〇〇円の供与を受け

第三、被告人松本常市は、前記高畠正勝から、同人がいずれも前記第一記載と同趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、

一、同年五月四、五日頃、前記候補者宅において、現金一〇、〇〇〇円の供与を受け

二、同月一二、三日頃、前同所において、現金一〇、〇〇〇円の供与を受け

第四、被告人山内英富は、いずれも前記候補者に当選を得しめる目的をもつて、同候補者のため投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動を依頼し、その報酬並びに投票買収資金として

一、前記高畠正勝と共謀のうえ

1、前記第二記載の日時、場所において、被告人河田亀雄、同馬場多市に対し現金二〇、〇〇〇円を供与し

2、前記第三、一、記載の日時、場所において、被告人松本常市に対し現金一〇、〇〇〇円を供与し

3、前記第三、二、記載の日時、場所において、被告人松本常市に対し現金一〇、〇〇〇円を供与し、

二、同年五月中旬頃、前記候補者宅において、被告人佐伯調次郎及び前記候補者の選挙運動者則包満に対し現金三、〇〇〇円を供与し

第五、被告人山内英富、同山下栄は共謀のうえ、いずれも前記第四記載と同趣旨のもとに

一、同年五月一九日頃、前記候補者宅において、同候補者の選挙運動者である大山政行、上原芳雄、藤村国光、辻熊美らに対し現金三〇〇、〇〇〇円を供与し

二、同月初旬頃、前同所において、被告人大西浅市、同横尾治郎一、同西中忠に対し現金一五、〇〇〇円を供与し

第六、被告人山下栄は、前記第四記載と同趣旨のもとに、

一、同年五月八、九日頃、前記候補者宅において、被告人佐伯調次郎に対し現金一〇、〇〇〇円を供与し

二、同月二〇日頃、前同所において、被告人佐伯調次郎に対し現金二、〇〇〇円を供与し

第七、被告人大西浅市、同横尾治郎一、同西中忠は共謀のうえ、前記第五、二記載の日時、場所において、被告人山内英富、同山下栄から、同人らが同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら現金一五、〇〇〇円の供与を受け

第八、被告人佐伯調次郎は、前記第六、一、記載の日時、場所において、被告人山下栄から、同人が前同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら現金一〇、〇〇〇円の供与を受け

たものである。

(証拠の標目)(略)

(被告人鎮西、同山内、同山下の検察官に対する供述調書の任意性について)

被告人鎮西、同山内、同山下及び同被告人らの弁護人は、右各被告人らの検察官に対する各供述調書はいずれも任意性を欠くものであると主張するので、以下各被告人について検討を加えることとする。

一、被告人山下の場合

被告人山下の当公判廷における供述(公判調書中の供述記載を含む、)及び第二四回公判調書中の証人幸王一二の供述記載部分、被告人山下の検察官に対する各供述調書等一件記録によれば、被告人山下は昭和三三年六月六日逮捕、同九日勾留、同二八日起訴され、続いて同年七月二九日保釈により釈放されたが、その間において同被告人の検察官に対する供述調書は同年六月一八日付を最初として、六月二五日付、二六日付、七月二日付、七月四日付、一四日付、一五日付、一七日付、一八日付、一九日付、二四日付、二八日付、二九日付、と計一三通作成されており、検察官の取調が開始された当初である六月一七日には黙否権を行使する旨述べるなどしていわゆる否認を続けていたが主として幸王検事により連日取調を受け、六月二四日には刑事部長林検事もこれに立会い、翌二五日付にて判示候補者の選挙運動の全貌、運動資金の出納状況、買収資金供与の概括的状況等について枚数五九枚に及ぶ大部の幸王検事に対する供述調書が作成されるに至り、翌二六日付にて更に買収資金供与の具体的かつ詳細な供述がなされ、四〇枚に及ぶ同検事に対する供述調書が作成されて、同被告人の決定的自白を見るに至つた。しかして、同被告人は、右の勾留期間中において、取調官である幸王検事から、近く皇太子の御成婚があることとて、その際には従来の例に徴し選挙違反も恩赦になるだろうと話され、それに関連して同検事がかつて山口地検在任当時苦心して捜査した選挙違反事件もその後大赦となつた旨語られ、その事件について作成していた捜査メモを、調室のロツカーから取り出して見せられ、又同検事が常日頃所持している愛児の写真を見せられたことがあること、がそれぞれ認められるのである。

右の事実に対し、弁護人は先づ、右の如く被疑者が黙否権を行使する態度を示しそれを言明しているにかかわらず、爾後も連日取調を続けたことは、被疑者の黙否権を無視した極めて不当不法な取調方法であり、憲法ならびに刑事訴訟法に違反するものであるというので、この点につき考察すると、憲法第三八条第一項にいわゆる「自己負罪拒否の特権」を定め、又刑事訴訟法第一九八条第二項において捜査機関に対し供述拒否権の告知義務を負わせている趣旨は、国家機関とりわけ捜査機関に対し、何人に対しても、不利益な供述を強要することを禁止しかつこれを実質的に保障せんとするところにあると解されるので、被疑者が黙否権を行使したからといつて捜査機関は直ちに爾後全く被疑者を取調べることができなくなるものではなく、いやしくも被疑者の供述を強要することとならない限り取調を続行し、或は日を改めて取調をなすことはなんらさしつかえないと考えられるところ、幸王検事は前記六月一七日には被告人山下が黙否権を行使する旨述べるや当日の取調を打ち切り帰房せしめて、供述の強要にわたらぬよう配慮していたことが認められるし、連日呼び出して取調を続行すること自体を目してそれのみをもつて直ちに被疑者に供述を強要するものとは到底考えられないから、弁護人の右主張は採用の限りではない。

しかしながら、被告人山下が、前記の如く勾留期間中において幸王検事から、皇太子御成婚恩赦の話をされ、それに関連して、大赦となつた選挙違反事件の捜査メモを見せられ、また、同検事の愛児の写真を見せられたのは、いずれも事実であると認められるところ、これらが、勾留期間中のいかなる時期、いかなる段階においてなされたものであるかは必ずしも詳らかではなく、被告人山下は「六月二二日か二三日頃の取調の際であり、それらによつて幸王検事に対しては何を言つても判つてもらえないし、子供の写真を見せられてから自宅に帰りを待つているであろう我が子のことを思い、つい里心を起こし遂に同検事の言うままに自供して早く釈放してもらおうという気になり自供した」と述べており、右の「六月二二日か三日頃」ということは直ちに措信しがたいとは言え、他によるべき証拠はなく、又、右の如き恩赦のこと、捜査メモのこと、写真のこと、がすべて同一機会に相接続してなされたとの証拠も、被告人山下の供述以外によるべきものはなく、或いは、被告人山下が任意の自供を始めたにつれ取調が幾分進捗し、幸王検事と被告人山下との間に或る程度相互理解の度が進み、両者の間に当初よりは更に和やかな空気が醸成されたような取調段階において、而もそれぞれ別個の機会に、なされたのではなからうか、との疑いもないではないけれども、果してそうであつたとも断定しがたいのである。

ところで、幸王検事が公職選挙法違反事件の被疑者として拘束されていた被告人山下に対し、近い時機にしかも或る程度確実にあるだろうことが予想されていた恩赦のことを話し、しかも同検事が自から捜査した事件の捜査メモまで示したことは、恩赦なる事態の発生がもとより同検事の一存によつて決しうるものでないこと当然であるとは言え、被告人山下をして、たとえ自白してもいずれ恩赦によつて処罰を免れるであらうとの考えを抱かせ黙否する態度を改めて自供を決意させるに至つたであらうことは容易に推察しうるところであり、又写真を示したことも、同検事が、あらかじめ計画的に写真を用意し所持していたとの証拠はなく、かえつて被告人山下の取調とは無関係に、子を愛する親として常日頃所持していたものであろうと認められるが、これをいやしくも拘束中の被疑者に示すようなことは、かりにそれが取調が中断ないし終了し、休憩ないし帰房までの暫時の間に、取調の手段としてではなくいわゆる世上の雑談の間になされたものであつたとしても、もとより不必要なことであり、むしろ拘束中の被疑者に与える心理的影響より見て慎むべきことであること当然であつて、同検事が右写真を利用して被告人山下の自白を獲得しようとの意図を有していたとまでの確証がないとはいえ、或いは右写真を示すことによつて万一を期待する心理が働いていたのではなからうか、との疑念を抱かれても已むを得ないものと言うべく、これを示された被告人山下が、自宅で帰りを待ちわびているであらう我が子の身上に思いを馳せ、その淋しさを察し、一刻も早く釈放してもらおうそのためには速やかに自供しようとの念に駆られたであらうことも写真による印象が言語によるそれよりも強烈であるそれだけに察するに難くない。

このように考えてくると、右のような恩赦の話をしたことや写真を示したことは、いずれも被疑者を取調べる捜査官としては十分慎しむべきことであり、拘束中の被疑者を取調べる捜査官の取調過程における右のような行為は、取調べを受ける被疑者をして、仮に虚偽にもせよ自白さえすれば、後日恩赦によつて処罰を免れることができるという気持若しくは釈放されて家族の許に帰ることができるという気持を抱かせる危険性を包蔵するものというべく、幸王検事の叙上のような取調方法は、憲法並びに刑事訴訟法によつて保障された被疑者の黙秘権を侵害し或はいわゆる利益誘導による取調べと同一視し得る取調方法として不当なものと言わざるを得ず、しかもその不当は被疑者の自白の任意性に影響を及ぼす程度のものであると言わざるを得ない。しかして被告人山下の場合においては、右の如き不当な取調を受けた時期については、既述のとおり証拠上判然せず、従つて右の如き取調と自白との間の因果関係の存否についても証拠上いずれとも断じがたく、結局右の如き取調と自白の間の因果関係なしとの証明が無いこととなり、被告人山下の幸王検事に対する供述調書はすべて任意性に疑いあるものとして排除しなければならない。即ち、被告人山下の幸王検事に対する昭和三三年六月二五日付、二六日付、七月一四日付、一九日付、二四日付、各供述調書は、被告人山下に対する関係においてはもとより他の被告人に対する関係においてもすべて証拠能力がないものとしてこれを排除する。

尚、被告人山下のその余の検察官調書については、証拠能力を疑うべき事由ありとは認めがたいことを附言する。

二、被告人鎮西の場合

被告人鎮西の当公判廷における供述(公判調書中の供述記載を含む)と、その検察官に対する供述調書、及び第二四回公判調書中の証人幸王一二の供述記載部分等一件記録によれば被告人鎮西は昭和三三年六月二六日逮捕、同年七月一八日起訴され、同月二九日保釈により釈放されたが、その間において同被告人の検察官に対する供述調書は同年六月二七日付を第一回として、七月五日付、一二日付、一五日付、二六日付、二九日付と計六通作成されており、身上関係について供述した六月二七日付調書が作成されたのち、引き続きおおむね連日幸王検事の取調べを受け、七月四日頃までは取調に対し強い不満、反抗の情を示していたが、七月五日遂に事実関係についての一部自認をなし、その後もほぼ連日の取調を受けて七月一二日、一五日と買収資金供与の具体的かつ詳細な自供がなされるに至つたが、同被告人は、右の勾留期間中において、取調官である幸王検事から前記被告人山下の場合と同様皇太子恩赦の話をされ、又同検事の愛児の写真を見せられたことがあること、が認められるのである。

ところで右の恩赦の話が出た時機、写真を示された機会については、被告人鎮西の供述以外に拠るべき証拠はないが、右のような幸王検事の言動をいかに評価すべきであり、それが被告人鎮西の心理に如何に影響を与えたであらうか、従つて同被告人の幸王検事に対する供述調書の任意性を如何に判定するか、等については、前述の被告人山下の場合について判断したと全く同様に認定すべきものであると考えられ、そこに述べたと同様の理由によつて被告人鎮西の幸王検事に対する昭和三三年七月五日付、一二日付、一五日付、二六日付各供述調書は、任意性に疑いあるものとして被告人鎮西に対する関係においてはもとより他の被告人に対する関係においてもすべて証拠能力がないから排除されねばならない。

三、被告人山内の場合

第一七回公判調書中の被告人山内の供述記載部分と同人の検察官に対する供述調書一件記録によれば、同被告人は昭和三三年六月六日逮捕、勾留されたが戦傷後患つた心臓病、高血圧症が悪化し、同月一三日釈放されたが、次いで同年九月一八日再び逮捕され同月二〇日勾留、同月二四日釈放されたが、この間において、同年六月一三日付、七月二日付、九月一九日付(二通)、九月二〇日付、二二日付、二三日付各検察官に対する供述調書が作成されていることが認められる。

被告人山内及びその弁護人らは、右各供述当時同被告人は、戦傷後患つた心臓病、高血圧症の悪化のため生命の危険すら存したのに、捜査官から厳しい取調べを受けたためやむをえず迎合的自白をしたもので、右自白は任意性を欠くものであると主張する。

しかしながら、当裁判所の取調べたすべての証拠に徴しても、右山内の検察官に対する自白は、その任意性につき疑念をさしはさむべきものありとは到底認めがたく、右自白は証拠能力を有するものと解する外ないから、右主張は採用の限りではない。

(法令の適用)

被告人河田の判示第一、第二、被告人馬場の判示第二、被告人松本の判示第三の一、二、被告人大西、同横尾、同西中の判示第七、被告人佐伯の判示第八、の各受供与の所為はいずれも公職選挙法(昭和三三年法律第七五号公職選挙法の一部を改正する法律附則四項により適用される同法律による改正前のもの、以下本法につき同じ)第二二一条第一項第四号、罰金等臨時措置法第二条(但し第二、第七については刑法第六〇条も適用)に、被告人山内の判示第四の一の1・2・3二、被告人山内、同山下の判示第五の一、二の各供与の所為は、いずれも公職選挙法第二二一条第三項、第一項第一号、罰金等臨時措置法第二条(但し判示第四の一の1・2・3第五の一、二、については各刑法第六〇条も適用するが、被告人山下の判示第五の一、二については刑法第六五条第二項により公職選挙法第二二一条第一項第一号の刑を科す)に、被告人山下の判示第六の一、二の所為はいずれも公職選挙法第二二一条第一項第一号、罰金等臨時措置法第二条に、それぞれ該当するので、各被告人につき各所定刑中懲役刑を選択し、被告人河田、同松本、同山内、同山下の以上の各罪はそれぞれ刑法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文、第一〇条によりそれぞれ最も犯情の重い被告人河田につき判示第一、同松本につき判示第三の一、同山内、同山下につきいずれも判示第五の一、の各罪の刑にそれぞれ法定の加重をし、以上の刑期範囲内において、被告人河田を懲役六月、同馬場、同松本を各懲役四月、同山内を懲役一年六月、同山下を懲役一年、同大西、同横尾、同西中、同佐伯を各懲役三月にそれぞれ処し、諸般の情状右各刑の執行を猶予するを相当と認め、刑法第二五条第一項第一号によりこの裁判確定の日から被告人山内、同山下についてはいずれも三年間、その余の被告人についてはいずれも二年間右各刑の執行を猶予し、被告人河田が判示第一、第二により供与を受けた金二五、〇〇〇円、被告人馬場が判示第二により供与を受けた金一〇、〇〇〇円被告人松本が判示第三の一、二により供与を受けた金二〇、〇〇〇円、被告人大西、同横尾、同西中が判示第七により供与を受けた金員中より分配を受けた各金五、〇〇〇円、被告人佐伯が判示第八により供与を受けた金一〇、〇〇〇円はいずれも当該被告人において費消し没収することができないので、公職選挙法第二二四条によりそれぞれの価額を当該被告人より追徴することとし、訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条により主文記載のとおりそれぞれ当該被告人に関係ある部分を単独負担若しくは連帯負担させることとする。

(無罪部分)

被告人鎮西に対する公訴事実は

一、被告人山内、同山下と共謀のうえ、判示第五、一、の供与をなしたとの事実(昭和三三年七月一八日付起訴状記載の公訴事実)

二、昭和三三年三月下旬頃、丸亀市福島町一五一番地の被告人鎮西の自宅において、判示高畠正勝に対し、判示候補者の当選目的をもつて、投票取りまとめ等の選挙運動を依頼し、その報酬として現金一〇、〇〇〇円を供与したとの事実(昭和三三年八月三〇日付起訴状記載の公訴事実第一)

である。

ところで、右の各供与の事実について、被告人鎮西の刑責を決する資料としては、既述のように証拠能力なしと認められる被告人鎮西、同山下の幸王検事に対する各供述調書を除けば、右一、の供与については被告人山内の昭和三三年九月二三日付検察官に対する供述調書あるのみで、しかもそのうち被告人鎮西の共謀を裏付ける部分は極く簡単であつて、これのみをもつて被告人鎮西を右一、の供与について有罪とするには十分でないと認められ、次に右二の供与については高畠正勝の昭和三三年七月一二日付、一七日付検察官に対する各供述調書があるのみで、しかもそのうちには真偽の誠に疑わしいいわゆる「借用証」なるものが存しており、これとの関連において右供与がなされた旨供述されていて、その供述自体直ちに全面的に措信しがたいものが存するのみか、更に第二三回公判調書中の証人佐長熊太郎の供述記載部分とも対比検討すると、右高畠の検察官に対する供述調書をもつて被告人鎮西を右二、の供与について有罪とするには十分でないと認められる。

よつて、被告人鎮西にかかる前記各公訴事実はいずれもその証明が十分でないから、刑事訴訟法第三三六条により同被告人に無罪の言渡をする。

以上によつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 戸田勝 谷口貞 伊藤政子)

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